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ペルーの北に流れるアマソン川の流域。 そこでは人々が逞しく強かに生きていた。 そして、実際に自分も同じような環境で生活してみることにした。

移動は殆どカヌーでする。それ以外は歩きだった。 どこに行くにも何をするにもカヌー。カヌーに乗らない日はない。 そして、それと同時に川を利用しない日もない。 米を炊くにも、身体を洗うにも、洗濯をするにも川を使う。 まさに川は、ここに住む人々の生活の基盤なのだ。

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川沿いに住む人々の家は、高床式または浮遊型住居である。 高床式の場合は、時期になると2メートルも水面が上昇するという。 また、浮遊型の方は元々川に浮いている為、 水位が上がってもあまり影響なく過ごせるようだった。 ジャングル生活の間、私達は家は使わず、木と木の間にハンモックを吊り、 蚊屋を張った上に雨避けのビニールを掛けたものを寝床として拵えた。 必要な物があれば、その都度その辺の木を切って作った。 本当に最小限の居住空間だった。

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ジャングルハウス
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同行してくれた現地のガイドを通して感じたことは、 川と共に生きる人々の強さだった。 釣りに行くにはやはりカヌーを使い、 行く手を阻む木などはばっさばっさと切り倒し、沈めながら突き進む。 そして、木を切り削ずったものを竿として使い、魚を釣り上げる。 森に入ると、どのような植物がどのようなことに使えるのか、 毒はないのか、また、獰猛な動物に出くわした時の対処法など、 彼らはあらゆる知識を持っていた。

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透明感のある肌を持つ白い蛙
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そういうことを知っていなければ生きていけない場所に暮らしている。 彼らは、とても逞しく、生きることに長けているように感じた。 そして、こういう暮らしをしている人々を見て、 モノの溢れる先進国でせわしなく生活している人よりも、 多くを持たないところで暮らす彼らの方が 豊かな暮らしをしているのかもしれないと思った。

つまり、自分の生きる場でどう生きるかということが問題なのであって、 どこで暮らすのかが問題なのではないのだ。 ただ、彼らはその問題を上手くクリアしているということなのだろう。

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360度を山に囲まれたこの場所に行くのは容易ではない。 近くのアグアスカリエンテスという村からバスで15分程だが、 山をひとつ登るわけだから歩くと1時間半はかかる。 私は、日中ずっと降り続いていた雨が止んだ夕方5時頃に、 歩いてマチュピチュまで行こうと思い立った。

マチュピチュには翌日の朝早くバスで行くことにしていたが、 どうしてもインカの人々が歩いていたマチュピチュまでの登山道を歩きたかったのだ。 道は厳しかった。 ほほ垂直にただひたすら石の階段を登っていく。 元々標高の高い場所であることもあり、すぐに息が切れる。 下りてくる旅人から励まされ、また止めておけと忠告されながらも必死で登った。 だんだん陽が暮れていき不安になったが、 振り返るたびに変化している周りの広大な景色を見ると、 登ってきて良かったという思いと、絶対に上まで行こうと勇気が出た。

マチュピチュの入り口に着いた頃にはもう薄暗くなっていた。 マチュピチュの姿は全く見ることが出来ないようになっており、 少しくらい見えるのではないかと仄かに期待していた自分の甘さに溜息がでた。

少し休んでからまたすぐに来た道を引き返す。 帰りは下りのため多少は楽そうに思えた。 しかし、下りている間に陽は完全に沈み、 街灯なんていうものは一つもない山道を下りるはめになった。 村までの道は簡単で、普通に行けば30分くらいで着く。 だが、どんどん暗闇は広がり、足下すら見えなくなっていった。 恐怖心ばかりが膨れ上がる。 何故あんな時間から登り始めてしまったのだろうという後悔の念まで出始めた。

そんな時、緑色の光が辺りをちらついているのに気付いた。 蛍だった。 よく見ると沢山の蛍が飛んでいる。 そして、空には満点の星が瞬いていた。 それは涙が出る程に綺麗で、嬉しい光景だった。 恐さはまだあったが、それによって随分楽になったような気がした。 いろいろな場所で満点の星空というのは見てきたが、その時々によって見え方は変わるもの。 この時の蛍や星空は、私にとって特別なものとなった。

こうして無事に山道を下り終え、宿まで辿り着くことができた。 ニ度と同じ目には逢いたくないが、最高に素敵な経験だった。 これも、マチュピチュが成せる業なのだろうか。

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想像していたよりも遥かに優れた技術や知恵をもって造られていたインカの世界。 標高2350メートルの山の上にある古代の街は、世界最高の遺産だった。 何よりも先ず、石積みの技術がかなり卓越しており非常に驚いた。 どんな建物か、どんな人が住むのかによって石積みの精巧さは変わる。 一般の民が住む家ならば少し手抜きに、神官などの位の人が住む家ならば少し丁寧に(写真上)、 そして王の住む家や神聖な場所ならば物凄く精巧に造られている。

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左下の写真のように紙一枚通さない程にぴったりと積まれた石。 ここの人々にとっての大切な人、大切なモノを大事に守っていたのだろう。
それにしても、どのようにして機械もない時代にここまで美しく石をカットしていたのだろう。 この技術は、クスコの街にも残されている(写真右下)。 クスコの方の石は、「12角の石」として有名で、現在人気観光スポットのひとつとなっている。 これはインカの人々の思惑通りといったところだろう。 彼らは権力や強さや技術の高さをここに表現したのだ。 そうでなければこのような面倒臭いことはしなかった筈だ。 そしてその通りに理解され、今の時代に残っている。 究極の石積み技術を見たという感動。 そして、そこに託された意味を考え、更に大きな感動を覚えた。

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マチュピチュはどこから見ても美しい。 段々畑も、石切り場も、神殿跡も、住居跡も、周りの山々も全て。 昔、スペイン軍が攻め入って来た時、インカの人々はこの場所に逃げ込み、街を築いた。 しかし、この場も危険だと考えたのか、足手纏いになる老人や女子供を殺して埋葬し、 この地を捨てて別の新天地を目指した。

1911年に米国の歴史学者ハイラム・ビンガムがこの地を見つけ出すまで、 この街は誰の手も加えられることなく、またスペイン人の破壊も及んでいない状態で眠っていた。 もし、未だにこの街にインカの人々が住んでいたらと空想を巡らす。

石の家には藁葺きの屋根が乗り、段々畑には作物が実り、カラフルな衣装を纏った人々が行き来する。 謎の空中都市となってしまったマチュピチュで、人々はどのような暮らしをしていたのだろう。 どんな本を読んだところで空想の域を出ることがない。 しかし、ここを訪れる旅行者たちは、この美しい土地の神秘的な昔の生活に思いを馳せるのだった。

ご愛読ありがとうございます。

これで「ペルー編1」はおしまいです。

次のエピソードは「ペルー編2」です。

引き続きお楽しみください!

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